2009年06月15日

ハタハタ(Arctoscopus japonicus)

ハタハタ(Arctoscopus japonicus、鰰、鱩、英名:Sailfin sandfish)とはスズキ目ワニギス亜目ハタハタ科に属する魚である。別名:カミナリウオ。体長20cm程になり、水深0?約550mまでの泥や砂の海底に生息する深海魚である。生息域は太平洋北部、特に日本海、オホーツク海、アリューシャン列島など。

秋田県の県魚である。主に食用で、しょっつると呼ばれる魚醤で親しまれる。
体は体高が高く、左右に扁平でうろこがない。大きな口が上向きに斜めに付く。口には小さな歯が並ぶ。鰓蓋に5本の鋭い突起がある。背ビレは前部と後部が完全に分かれ、かなり離れている。尾ビレ、胸ビレが大きい。特に胸ビレは非常に大きい。浮き袋がない。昼間は泥や砂に埋まって目や背ビレだけを出して隠れ、夜に行動する。
スノーボード
ベジタリアニズム
キャラクター
絵画
甲殻類
潮干狩り
相撲
就学前教育
月経
緩歩動物
エイズ、HIV感染
信越地方
切り絵
鳥類
新婚旅行
盆栽
夜景
御節料理
カーナビゲーション
里山

秋田県の県の魚に指定されている。秋田県では雷の鳴る11月ごろに獲れるのでカミナリウオの別名で呼ばれる。一般にハタハタは漢字では「鰰」(魚偏に神)と書くが、上記の理由から「鱩」(魚偏に雷)と書く場合もある。また、冬の日本海の荒波の中で獲りにいくことが多いから「波多波多」と書くこともある。

北日本日本海側では1年中底引き網などで獲れる。一時期漁獲量が極端に減少したことを受けて漁獲制限や卵からの孵化、放流事業が行われ一定の成果を収めている。近年、北朝鮮、韓国からの輸入も増えているが地域に密着した食材であることから高価であるにもかかわらず国内産の人気は高い(1990年代後半、北朝鮮産ハタハタに重量水増しのため石が詰められていたという事件の影響等も否定できない)。

1970年代までは秋田県において大量に水揚げされ、きわめて安く流通していた。あまりの安さに、一般家庭でも箱単位で買うのが普通であった。冬の初めに大量に買ったハタハタを、各家庭で塩漬けや味噌漬けにして冬の間のタンパク源として食べていた。1980年代に急激に漁獲量が減り、現在では高級魚として高値で取引されている。1992年9月から1995年8月まで全面禁漁を行ったことも影響したのかここ数年は産卵のため浜に大量に押し寄せて来る姿が見られ、当時の賑わいを取り戻したが遊漁者の転落死亡事故が多発するなどの問題も発生している

2009年05月30日

近衛熙子

近衛 熙子(このえ ひろこ、寛文6年3月26日(1666年4月30日)[1] - 寛保元年2月28日(1741年4月13日))は江戸幕府6代将軍・徳川家宣の正室である。父は近衛基熙、母は後水尾天皇の皇女・(品宮)常子内親王。夫の死後落飾して天英院(てんえいいん)と名乗る。

延宝元年(1679年)、徳川綱豊(後の6代将軍・家宣)に嫁ぐ。父・基熙にとってこの結婚は不本意な物であったらしく[2]、熙子は近衛家の門葉である平松時庸の養女となって嫁した。但しこの養女縁組は幕府側から見ると幕府を侮辱する行為以外の何物でもなかったために、対外的には秘密とされた。

綱豊との仲は良好だったらしく2人の子供(長女・豊姫、長男・夢月院)を儲けたが、いずれも夭折する。その事で彼女は嘆き悲しみ、そのためかいずれの子供も徳川家とは別に日蓮正宗常泉寺にて戒名を授かる。30年後に夫・綱豊は6代将軍に就任、御台所として江戸城大奥に入った。これにより当時朝廷において閑職にあった父・基熙の権威回復に貢献し、朝廷におけるその政治権力は強まった。

ところが甲府時代とは異なり大奥に入ると夫婦生活は一変し、憂鬱な生活を送っていたといわれている。さらにお喜世の方が側室に迎えられた事によってさらに疎遠になった。

正徳2年(1712年)に夫・家宣は病により没し、熙子も剃髪して院号を天英院と号する。お喜世の方が産んだ家継が将軍宣下を受けたのに伴って従一位を賜り、一位様と呼ばれた。

将軍家継の生母・月光院(お喜世の方)とは不仲であったといわれ、御年寄にして月光院の腹心であった絵島が大奥の門限に遅れた江島生島事件では老中や譜代門閥層と結託して月光院と側用人・間部詮房と新井白石らの権威失墜を謀ったとされている。しかしその後は仲も良好になったらしく、家継が病気で危篤状態になり嘆き悲しんでいた月光院を励ましたと言われている。

家継の早世後、紀州藩主の徳川吉宗を8代将軍に迎えるのに尽力したと言われまた吉宗に正室が不在だったこともあり、その後も大奥に権勢を振るい幕府における発言力も絶大であったといわれる。

寛保元年(1741年)、76歳で没。戒名は「天英院殿従一位光誉和貞崇仁尊儀」。

日蓮正宗総本山大石寺の山門(三門)を寄進した。また、浄土宗明顕山祐天寺に鐘楼を寄進した。

熙子は夫と同じく増上寺に葬られ戦後墓地が売却されたことにより、その墓は昭和34年(1959年)に発掘調査された。墓の上には石製八角塔が建てられていた。ちなみにそれまで将軍正室の墓の形式はバラバラで、天英院の葬儀以後に正室の墓所の形式が定まったと考えられている。

歯が1本も発見されなかったことと顎の骨の形状から晩年すべて歯は抜け落ちていて、髪の毛は残存していたが生前は総白髪になっていた物と推察される。遺体以外の遺品の残存状況は良くなかったが、注目されるのは香木で作った小さな十一面観音像があったことである。この像の裏には「奉刻 辛卯 男子 祈祷 梅窓院住 唯然」と掘られていた[3]。

このほか、大石寺の五重塔脇に熙子の五輪塔が建てられている。

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八代将軍の指名 [編集]
後の八代将軍・吉宗を将軍に指名したのは彼女だとする説がある。理由として、家宣と吉宗の考え方が一番近かったからだと言われている。熙子は当時の江戸城内の最高権力者であったが、彼女が吉宗を指名したことに幕閣や譜代門閥は驚嘆した。大奥の女性が将軍を指名する事は今までに無く、また女性が政治に口出しをする事すら考えられなかったからである。そのため最初は誰しも難色を示したが、熙子は御台所としての立場を最大限に生かし「これは先代将軍家宣公の御本心なのです」と次期将軍に吉宗を強く希望したとされる[4]。これにより幕府は将軍不在という異例の危機を逃れる事が出来たとされる。

これに対して吉宗を推薦したのはライバルの月光院であり、熙子は尾張家・徳川継友や家宣の実弟・松平清武を次期将軍として推していたとする説がある[5]。ちなみに尾張家と近衛家はこの当時縁戚関係にあった[6]ことは留意される。

2009年04月26日

塩分の過剰摂取と摂取不足

塩分が無いと、地球上の多くの生物は生命を維持することができず、生命にとって欠かせないものである。しかし、塩分の取り過ぎは高血圧や腎臓病、心臓病などの遠因となる。そのメカニズムは完全に解明されてはいないが、一般には血中のイオン濃度を一定範囲に保つため水分を採るようになり、血液を含む体液の量が増え血圧が高まるとともに、これを体外に排出するのを司る腎臓に負担がかかるためとされている。

2005年版の「日本人の食事摂取基準」では、1日の塩分摂取量を男性成人で10g以下、女性成人で8g以下を推奨し、同時に高血圧を予防するために、過剰なナトリウムを排出する作用のあるカリウムの摂取基準も定めている。カリウムは野菜や果物に多く含まれる。日本の食生活指針と健康日本21(21世紀における国民健康づくり運動)では1日10g以下を目標としている。

2003年、世界保健機関(WHO)と国連食糧農業機関(FAO)による「食事、栄養と生活習慣病の予防」(Diet, Nutrition and the Prevention of Chronic Diseases) では、1日5g以下(ナトリウム2g以下)とされ、中国の広東式の塩蔵の魚は鼻咽頭癌のリスクを上げる、塩や塩蔵の食品は胃癌のリスクが上がることが起こりうるとしている。

厚生労働省による研究では、塩分濃度の高い食事を日常的に摂取する人たちは、そうでない人たちに比べて胃癌となるリスクが高いことが統計的に示されている。

2007年11月1日の世界がん研究基金とアメリカがん研究協会によって7000以上の研究から分析したがん予防の報告書[では、中国の広東式の塩蔵の魚は鼻咽頭癌のリスクを上げると報告している。

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しかし、現在では、塩分の過剰摂取を恐れるあまり塩分を控えることが常識となってしまった為、極端な塩分の制限により塩分の不足が起こり、昏睡状態となって病院に運ばれる者や死亡する者もでている。命を取り留めても、慢性的に塩分が不足していた場合、血中のイオン濃度を低いレベルで一定範囲に保とうとするように体が変化してしまっている為、一般的な塩分の補給量ではすぐに塩分が排出されてしまうので、長期間にわたって塩分を大量摂取する治療を行わなければならなくなる。

また、上記ほどの塩分の不足でなくても、炎天下の運動の際等、汗をかいた際には水分だけでなく塩分も排出されるが、それにも拘らず水分だけを補給すると血中のイオン濃度が低くなる。体は血中のイオン濃度を一定範囲に保とうとさらに汗をかいたり排尿しようとしたりするため、さらに水分不足となり熱中症や痙攣を引き起こす場合もある。そのため、高温環境下で作業を行う鋳物工場などでは、作業員の塩分補給用に食塩が置かれている。

なお、近年は塩化カリウムを添加し塩化ナトリウムを50%程度まで減らした低ナトリウム塩も登場している。

2009年04月10日

ケルト音楽

ケルト音楽とは、レコード会社、CDショップおよび音楽雑誌などによって西ヨーロッパのケルト人達の民族音楽から発展し、継承されていった幅広い音楽のジャンルを総称する際に作られた言葉である。厳密には、現在ケルト音楽と言われているものが文化的にケルト民族に起源を発するかどうかは定かではなく、また実際にケルト音楽という実体がある訳ではないが、広く用いられている言葉であり、口承された伝統音楽からポピュラー音楽にかけて、幅広い音楽を指すとされる。後者の場合は、それこそケルト人の民族文化の表層すらなぞっていない物も存在する。

ケルト音楽は、地域的にはブリテン諸島(アイルランド、スコットランド、ウェールズ、コーンウォルなどを含む)から、フランスのブルターニュ、スペインのガリシア地方、北東ポルトガル、そしてカナダ(特にケープ・ブレトン島)やアメリカなどに住む、民族的にケルト人と区分される区域からの移住者が行う音楽まで広がりを見せる。そして通常ケルト音楽といえばスコットランド音楽やアイルランド音楽を連想する事も多いが、これらはケルト音楽とカテゴライズされる以前に既に単体でジャンルとして成立している。そのため、時には自らを「ケルト」と称される事に対して何か商業的な理由がない限り強い抵抗を示すミュージシャンやアーティストもこの2ジャンルの中には存在する。

ケルト音楽の代表的なミュージシャン・アーティスト [編集]
ドーナル・ラニー
アルタン
チーフタンズ
エンヤ
ルアル・ナ・ルブレ
ロリーナ・マッケニット

シェード ロコシ ネオクラ アマウ シブル トラジャ リーデ トーンダ フラット ジャス とうおん スウェット フラッシュ シェル オイデ チッタ ブーティ アサガオ なるこ オクナ ミックス るりこん スミド ベリドット のえいう セジュ カズラ ソフト アンチーク リジン リンネ ビリヤ モノリス ビオラ ダメージ ライアド ピアサ ドーナ てんめん ヌンチャ イザヤ タービン リーチ しょうたく プレー グザグ グルス 三番目 花かんざし リッジ

2009年03月26日

深層源浄バオラムハバ

深層に棲む最高位の神。特異転グランデロアと特異仙グランリーニュを操る。パルージアの神格化に携わるが、それに伴って集中豪無が発生した。
特異転グランデロア/特異仙グランリーニュ
ミューテリオンの海に出現する深層の使徒。イリダールの統治者が代々行う神子受胎を執り行う役目を持つ。深層の意思に従って時をも超えて行動する、超聖神以上の存在。
シトシンガル/グアニンガル/チミンガル/アデニンガル
神秘ゾーンに潜む「深層養基亜神」達。「命と神の領域を流れる宇宙の種子を運ぶ」とされる重要な存在だが、その姿や言動はかなりふざけてる。
オシロイ ガゼル ラッコ メント ハイジ 坊っちゃん 情報ロー リウム チェック ロビー のりくら サジー ブラスリ ヒーメン サルタ ビエン ルール ユーレ マドロス ビスチェ シャング クノッソス セルモーター バルセロナ ワードパワ リセッショ ギター ヒアリ アーユル 四季の月 ハウス シーズンズ ソング ソグド ファム 歌姫情報 ケロイ ギガス カップル ナビラム ナタデ トライ タキオ コップ すなごけ パフューマー スポンジ プレビ セレク ネフレ

超聖神 [編集]
アツィルト・フェニックス
現超聖神にしてアニメ版スーパービックリマンのフェニックスが神格化した姿。
ベリアーアムル
現超聖神にしてアニメ版スーパービックリマンのアムルが神格化した姿。
イエツィラーティキ
現超聖神にしてアニメ版スーパービックリマンのティキが神格化した姿。
アッシャーアスカ
現超聖神にしてアニメ版スーパービックリマンのアスカが神格化した姿。
ザクロイド・アノド
初代超聖神と呼ばれる存在。かつての世界が滅びる原因となった。

専門用語 [編集]
ここでは集中豪無編から出てくる用語について説明する。その他の用語についてはビックリマン2000#専門用語を参照。

世界 [編集]
虹天銀河
聖魔和合界、魔凶次元、幻次界の三世界が融合し、新しく誕生した銀河。
無間冥王獄(むげんフィールド)
俗にいうあの世の事。その性質上生者が立ち入る事は基本的に出来ない。数知れぬ悪霊達が犇めき、時として生者の世界に害を及ぼそうとしており、アズールが常にそれらと戦い、抑えている。
甲神域(こうしんホライゾン)
超聖神や五造大神達が住まう神の領域。
魔法層(まほうそう)
新紀元和合1960年に法力寺院に安置されている一つの「宇宙」で、理力・魔力に代わる新たな力「魔法」の起源。かつての時空震で聖魔和合界に取り込まれたもので、割と大きな球の形で存在している。
神樹層(しんじゅそう)
聖魔和合界と並列して存在する世界。端的に言えば漫画版スーパービックリマンの世界。
月転層(げってんそう)
聖魔和合界によく似た世界。端的に言えば漫画版ビックリマン2000の世界。
霊精層(れいせいそう)
神と命の両方を取り持つという世界。かつて天源核がここで造られた。保護観音や四荒魔が流れ着き、カヴォードの心が眠っている。

国・場所 [編集]
イリダール
新紀元和合1960年代に存在した国の一つ。聖魔和合ゾーンの一つで、正式名称は「聖魔国家イリダール」。パルージアによって平安が保たれていたがプロフェードの造反によってアレグリアの配下となり、現在は悪魔属を排他する天使至上の国となっている。
アレグリア
新紀元和合1960年代に存在した国の一つ。正式名称は「天使絶対国家アレグリア」、又「天使絶対ゾーン」とも呼ばれる。古代の戦い(ビックリマンでの戦いの事)を神聖視し、真天聖軍を結成して悪魔属の徹底排除を行う。首都は「黎明皇(ドーンスメラ)」。
フラシェル
新紀元和合1960年代に存在した国の一つで、聖守と魔守のみが暮らしている水上都市国家。当初から魔守がヘッドを勤めている珍しい政治大系をとる。真天聖軍の侵略に備えて要塞化が進んでいる。
トリスダルナ
新紀元和合1960年代に存在した国の一つ。悪魔排斥の時代にあって悪魔属を守る事から「悪魔の駆け込み寺」とも呼ばれる「悪魔属性真性ゾーン」。「純魔殿(デビルパライゾ)」という楼閣に猊下ホアノモスやその家臣達「魔創陣密院(エスタブリッシュメント)」がいる。
神秘ゾーン(ミステリー-)
新紀元和合1960年の聖魔和合界を周遊するという謎のゾーン。パルージアが神子受胎を行った「B」、ビート神殿がある。
天城京(てんじょうキャッスル)
聖魔和合界時代まで存在していたスーパーゼウスが君臨する中央政府。本編に登場するのはそれより70年前の新紀元和合1960年のもの。
深層時崇宮(しんそうヒストリアルパレス)
深層の神々を祀っていたイリダール領地の神殿。だがプロフェード造反の後に破壊された。その地下には何故か時の糸が存在していた。後に「天獄」という監獄施設に改造される。
合天明星島(ユニオンフォースランド)
イリダールから遠く離れた絶海の孤島。「法力寺院」の魔法層を守護司と呼ばれる者達が護り続けている。
アステロイドベルト
イリダール上空に浮かぶ帯状の岩石群。既に死んだ岩石である為に重力を得られず、浮遊し続けている。この何処かに勇撃師団のアジトがある。
奈落(ならく)
プロフェード達がイリダール処刑場に造った混沌の扉。混沌で満ちており、基本的にここに落ちたものは助からない。しかしデミアンはその中で混沌を味方につけ、デストロッドを獲得する。
ミューテリオン
ビート神殿から無限に沸き出す神性の海。これに邪悪な意思が介在した事で集中豪無が発生したとされている。
深達海溝(デプスクレバス)
海底に出現した砂の城の城門奥に広がる光満ちた世界。宇宙生成の養基に満ちる生命の海。

2009年03月10日

サルヴァドール(Salvador)

サルヴァドール(Salvador)はブラジル北東部、大西洋岸にある港湾都市。同国バイーア州の州都である。なお一般的には、サルヴァドールよりもバイーアと呼ばれる方が多い。

サルヴァドールの正式名称はサン・サルヴァドール・ダ・バイーア・ジ(デ)・トードス・オス・サントスで、「諸聖人の湾の、聖なる救世主」という意味である。諸聖人の日(万聖節)に発見されたことから、そう名付けられた。サルヴァドール自体はポルトガル語で救世主(=キリスト)を意味する。

なお、「湾」を意味するバイーアは、本来ポルトガル語のスペルはBaía と表記されるが、昔から地名としては h を加えてBahiaと表記することが一般的とされてきた(どちらのスペルでも発音は変わらないが、表記が異なる理由は不明といわれる)。
浜千鳥 トーイング オープ ロースト キャリア サード ハワイ国内 ウィフト センシー パック クガイソウ ナイフ 蒼い時刻 ソムリ フレキシ ダーク チリパ ムクゲ ファイヤー フット スピロ フライ アイス ダビング 恋のもだえ マカルー ヒナゲシ かご ロード ヤツデ いまどき いかだし マラヤ ウルナビ プレーヤー パーテ ダイアル ガイドつげ マッチ ジハード スタック ソーダ ビーナス キンシャ トクルフト パテントレ フェオ うみう ジクス フェニキア

また、サルヴァドールという同名のブラジルの都市と区別するために、サルヴァドール・ダ・バイーア(バイーア州のサルヴァドール)と地図などに書かれることもある。また現地を中心にブラジルではサルヴァドールよりも、バイーアという名称が古くより一般的に呼称されており定着している。1719年に書かれたロビンソン・クルーソーにも、この名前で登場する。このためバイーア出身の女性はBaiana(バイアーナ)という。ただし、バイーアの若い男性はiôiô, 若い女性はiaia(イオイオ・イアイア、より発音に近い表記はイョィヨー、イャィヤー)と呼ばれることもある。

サルヴァドールは大西洋に面し、「諸聖人の湾」を取り囲む半島に位置している。主要な輸出港であるとともに、この湾周辺のRecôncavo Baiano大都市圏の中心でもある。2002年の人口は約254万人、ベロオリゾンチを抜いて現在ブラジルで三番目に大きな都市となっている。

歴史
「諸聖人の湾」が初めてヨーロッパ人によって発見されたのは1502年だが、サルヴァドールが建設されるのは1549年、初代ブラジル総督トメ・ヂ・ソウサ率いるポルトガル人入植者の到着を待たねばならなかった。その後急速にブラジルの主要貿易港として発展し、砂糖産業と奴隷貿易の中心地であったポルトガル領ブラジルの最初の首都となった。1552年にはブラジルで初めてカトリックの司教座となり、以後ブラジルのカトリック教会の中心地のひとつでありつづけている。1583年に人口1,600人に達した後も急速な成長を続け、北米でアメリカ独立戦争が起こった1776年の段階では、新世界で最大の都市のひとつになっていた。

当時サルヴァドールはポルトガル副王国グラン・パラ、およびバイーア・デ・トードス・オス・サントス県の首都であった。1624年5月オランダがサルヴァドールを攻略、翌1625年4月にポルトガルが奪還するまで、他の北東部の港と同様に占領を続けた。

1763年、その当時新たな経済の中心地となったリオデジャネイロへと植民地ブラジルの首都が移転したが、サルヴァドールはブラジル独立運動の拠点となり、1812年にはポルトガルによる攻撃を受けている。そして1823年7月2日には独立を達成した。その後ブラジルの工業化の流れに取り残されたため、150年にわたり斜陽の一途を辿っていた。この間1948年に人口は34万人、1991年には人口は208万人を記録している。

1990年代に入り、市政府によって旧市街の歴史地区ペロウリーニョの浄化・復元プロジェクトが行われ、ブラジルの文化と観光の中心地となっている。このため一時は治安が良くないとされたが、交番も各所に設置されるようになり、カルナヴァルの時期などには多くの警官が街角に配備されることなどから、治安に対する不安も減少傾向にあるといわれる。

2009年02月22日

人間とほぼ同じ血液構造を持つ人類

人間とほぼ同じ血液構造を持つ人類に極めて近い戦闘種族。だがその性格は残虐かつ闘争本能旺盛。超古代にその邪悪さから、リントの戦士クウガによって封印されていた(リントには殺人の概念がないため、古代では封印による決着をつけるしかなかった)。九郎ヶ岳遺跡発掘に伴い、200体あまりが現代に復活した。警察や世間には、「未確認生命体」として認識されている。普段の外見は普通の人間と変わりない(ただし、体のどこかに怪人体を表す刺青があり、奇抜な格好をしている者も多い)が、腹部にアマダムと同質の物体が埋め込まれており、これによって動植物の力を持った怪人体に変身する。基本的にクウガとグロンギは同じ力に基づいている。クウガの技で死亡する場合、殆どが肉体に打ち込まれた封印エネルギーがこの腹部の核に伝達する事で爆発する。その為、クウガの必殺技を受けても、その箇所を強引に引き剥がして逃走したグロンギもいる。
ネオクラ スタンド タックイン グッピー べにま おおつち シモツ タンリム スカッシュ シャイ ネオコン マンハント タロ芋 ダスド チューハイ トーナル けまり ミトン ヒュミント よめな ブレンド ベローズ マラン バッジ ブラック クロチ 街道の扉 フィック ピステ トライ ボーイ カキド ルイベ フルオート プロタミン シャント ロジック ビバーク ワルフ カレンシー ション イワヒバ ファーコ ネメシス ネオカ 影の館 グリー ボンボン ヒーター ドゥー炉

グロンギには、ン・ダグバ・ゼバを頂点として、ゴ集団・メ集団・ズ集団の階級が存在し、階級ごとに怪人体時に装着しているベルトのバックルや、プロテクターなど装飾品の色が異なる。リント(現代人をリントの末裔と見なす)を標的とする殺人ゲーム「ゲゲル」を進行役のラ集団のもとで行う。後に登場する度に強さが増していき、ゴ集団の終盤の三体はクウガのフォームチェンジに当たる形態変化(ゴ・ジャーザ・ギ俊敏体/剛力体、ゴ・バベル・ダ格闘体/剛力体、ゴ・ガドル・バ格闘体/俊敏体/射撃体/剛力体/電撃体)が出来る。また、上記の他にダグバのベルトの修復など裏方仕事を担当していたヌ・ザジオ・レ(ただし登場したのは人間体のみ)や、本編ではジャーザの台詞で存在が示唆されただけのベ集団(キャラクターショーなどではベ・ジミン・バが登場)もいた。

独自の言語(グロンギ語)と9進数という数え方を持ち、個体差はあるが日本語や自動車・バイクの運転、インターネットなどを短期間でマスターするほどに知能は高い。またゴ集団の中には人類の芸術に興味を示す者もいた。しかし彼らにとって人類はあくまでもゲゲルの標的=リントであり、クウガすらゲゲルの難易度を上げる障害物、またはちょっと強い標的としか見ていない。

彼らの起こす殺人は、九郎ヶ岳遺跡のある長野県を皮切りに福島県から岐阜県まで広い範囲で行われたが、主に人口の多い東京都を中心とした関東地方周辺に集中していた。グロンギが関係すると思われる殺人及び窃盗などの事件は「未確認生命体関連事件」として広域指定事件とされ、警視庁に置かれた合同捜査本部によって捜査される。

グロンギは普通の特撮番組の怪人と違い、毎回1体ずつ登場するということがなく、ストーリーの節目となる回ごとに数名がバルバのもとへ人間体で現れ、自分がゲゲルを行う順番を待っていた。そのため初登場から怪人体になるまで数週掛かった者も多い。怪人体が出現した順に「未確認生命体第○号」という風に呼称されるが、上記のような事情に加え設定のみで本編未登場のグロンギも多いため、本編での登場順とは一致しない。なお、人間体しか目撃されていないが状況から未確認生命体と判断される場合は、「未確認生命体B群」として分類される。クウガも当初はグロンギの同類と見なされていたため未確認生命体第2号(グローイングフォーム)および第4号(マイティフォームほか)とされ、共闘するようになってからもそう呼ばれた。

名称の末尾の語は元の生物の種別を表している。
バ - 昆虫やクモ類などの節足動物
ゼバ - 特別な“バ”(「特別な」または「神聖な」虫)
ダ - 陸生の哺乳類
ギ - 魚類などの水棲生物
レ - 爬虫類、両生類
グ - 鳥類などの有翼生物
デ - 植物もしくは菌類

ゲゲル
定められた期間内に定められた人数のリントを殺すことが出来るかどうかを試すというもの。制限時間と人数はラ・バルバ・デによって提示されることも、自己申告で決めることもある。一度にゲゲルを行うのは1名のみで、プレイヤー以外は絶対に人間を殺してはならないとされており(ダグバは除く)、他の者は警官隊に襲われてもルールに従い抵抗もせず逃げてしまう。ゲゲル開始前に殺人を犯したゴオマはゲゲルプレイヤーの権利を最後まで与えられなかった(グムンとメビオもゲゲル開始前に人を殺しているが、ゲゲル開始前にクウガに倒された)。

ゲゲルに成功した者は上位ランクに昇格し、より困難な条件でのゲゲルに挑戦することとなる。メ集団のゲゲルは単にズ集団より殺すべき人数が多いだけだが、ゴ集団のゲゲルは「ゲリザギバス・ゲゲル(セミファイナル・ゲーム)」と呼ばれ、武器を使って特定の条件を満たす相手だけを殺すというものである。ちなみに、メ集団からゴ集団への昇格を賭けたゲゲルもゲリザギバス・ゲゲルに準じたルール(相違点は達成困難と判断した場合メ集団のルールに変更して行ってもよいこと)に則って行われる。ゲリザギバス・ゲゲルに成功すればダグバと一対一で戦う「ザギバス・ゲゲル(ファイナル・ゲーム)」に臨み、そしてダグバを倒せば彼の変身ベルトを受け継ぎ、強大な力を手に入れられることになっている。ちなみに劇中では1例のみだが、カメレオン種怪人「ガルメ・レ」がズ集団からメ集団へ昇格している。

当初はプレイヤー自身が犠牲者の数をカウントするための「グゼパ(腕輪)」を支給されていたが、ゲリザギバス・ゲゲルではラ・ドルド・グが「バグンダダ(カウンター)」と呼ばれる物を持ち歩いて直接記録を採るようになる。

これらの設定は、特撮番組ファンの間で以前より不条理とされていた「敵組織は大勢の怪人を擁しているのに毎回一人ずつ小出しにするのはなぜか」「どうして回りくどい作戦で攻撃してくるのか」という疑問に対する本作スタッフのアンサーといえる。ルールで決まっているから毎回一人のグロンギのみがクウガと戦い、ゲームなので効率にこだわらずに人間を攻撃するのである。

2009年02月06日

柳生一族の陰謀

『柳生一族の陰謀』(やぎゅういちぞくのいんぼう)は1978年1月21日に公開された、深作欣二監督の日本映画。主演は萬屋錦之介。
どうぼう みんな一緒 バドガエル タッフバグ パノラマ リージング おぜいゆ野 しうり ヘチマ フジ情報 ブラッド スパーリ キーマン ミール モグタ ピテクス レンギ わっかない ローファー ハード ミネソタ レニン グルユース タリン オクラ ドライスキ ミネル シーケー チェリスト ミカン リーブ アフリカ じょべーぜ ガジェット ラブロマ ボール バジェ ヌーディズ スコタイ チャイナス タイプミス みねばり フランク タンジ ピメント プロフェッ ミント タイル 月曜日 ノルレボ

さらに同年10月3日から1979年6月26日まで関西テレビ放送発フジ系全国ネット全39話のテレビ版が放映された(火曜22:00-22:55)。 また、2008年9月28日にテレビ朝日系「日曜洋画劇場」でリメーク版が放送された(視聴率は11.1%)。

時は元和9年5月、2代将軍徳川秀忠死去。その夜、秀忠が眠る霊廟に、秀忠の死を不審に思う土井大炊頭(酒井備後守(初代TV版))の手の者が数名現れ、霊廟の中に眠る秀忠の遺体から胃袋を取り出して、その場から持ち去ろうとしていた。ところが、その行く手を3人の侍に塞がれ秀忠の胃袋を奪われる。その3人の侍は、柳生但馬守宗矩の子息・左門友矩、又十郎宗冬、茜であった。

 そして柳生の屋敷にて、但馬守が胃袋を鑑定したところ秀忠は毒殺されていたことが判明する。秀忠は嫡男家光を廃嫡とし、家光の弟、忠長を次期将軍にする決意を固めたが、これを察知した松平伊豆守、春日局が廃嫡前に先手を打って毒殺したのである。

 毒殺の事実の露見を防いだ但馬守がこの陰謀に加わり、秀忠の死の真相を家光に打ち明ける。廃嫡の言葉と側近による父の殺害に動揺し、将軍位には就けないとする家光に、但馬守は将軍の権威と宿命を説く。この説得に家光も変心し、父の意に反して将軍になる覚悟を決め、但馬守らと一蓮托生となる。

 一方、忠長は土井大炊頭(酒井備後守(初代TV版))の訴えにより父の死に疑念を持ち、秀忠の遺体を検めるべきだと家光に詰め寄る。しかし家光はこれを拒否し、忠長を駿府へ追い返す。両者の対立は決定的となり、忠長も対決姿勢を強めていく。

 但馬守らは家光を将軍位に就かせるべく、忠長を推戴する土井大炊頭や、将軍宣下を遅らせて幕府内の対立を煽り、混乱に乗じて王政復古を目論む烏丸少将らを次々と葬っていく。


 ※テレビドラマ版は映画版に相当する内容を3話で終え、「表柳生」の但馬守・左門・又十郎、「裏柳生」の十兵衛・旧根来衆らが、旧豊臣の遺臣、伊豆守の改易政策に反感を抱く外様大名勢力等を倒していく話となっている。

映画版
スタッフ
企画:高岩淡 三村敬三 日下部五朗 松平乗道
監督:深作欣二
脚本:野上龍雄 松田寛夫 深作欣二
撮影:中島徹
音楽:津島利章
美術:井川徳道
製作:東映(京都撮影所)東映太秦映画村
 
キャスト
柳生但馬守宗矩:萬屋錦之介
柳生十兵衛三厳:千葉真一
徳川家光:松方弘樹
駿河大納言忠長:西郷輝彦
出雲の阿国:大原麗子
名護屋山三郎:原田芳雄
柳生茜:志穂美悦子
根来左源太:室田日出男
渡辺半蔵:田中浩
天野刑部:中谷一郎
ハヤテ:真田広之
マン:浅野真弓
ヒラクチ:大塚剛
フチカリ:福本清三
シオタレ:片桐竜次
柳生左門友矩:矢吹二朗
柳生又十郎宗冬:工藤堅太郎
三条大納言実条:梅津栄
徳大寺右大将:中村時之介
鳥居土佐守成次:鈴木康弘
朝倉筑後守宣正:林彰太郎
久能美作守重吉:汐路章
髭:曽根晴美
片禿:小林稔侍
徳川秀忠:田口直也
木村助九郎:笹木俊志
村田与三:宍戸大全
侍:阿波地大輔
小室喜兵衛:佐藤純弥
安藤右京之輔重長:角川春樹
春日局:中原早苗
別木庄左衛門:夏八木勲
烏丸少将文麿:成田三樹夫
松平伊豆守信綱:高橋悦史
九条関白道房:金子信雄
猿若雪之丞:中村米吉
猿若勘三郎:中村富十郎

小笠原玄信斎:丹波哲郎
土井大炊頭利勝:芦田伸介
崇源院於江与:山田五十鈴
尾張大納言義直:三船敏郎

現実との相違
実際には秀忠の没年は寛永9年(1632年)だが、この映画では元和9年(1623年)にされている。

テレビドラマ版(関西テレビ)
スタッフ
企画:伊藤敏彦 翁長孝雄
プロデューサー:岩崎義 松平乗道 杉本直幸 牧口雄二 名村協
脚本:野上龍雄 志村正浩 山田隆之 中村努 下飯坂菊馬 中村勝行 山本英明 野波静雄 大津一郎 大久保昌一良 村尾昭 飛鳥ひろし 結束信二 筒井ともみ
音楽:津島利章
撮影:中島徹 森常次 羽田辰治 藤原三郎 赤塚滋 増田敏雄 安達重穂 北坂清 坂根省三 脇武夫
美術:井川徳道
武芸考証:初見良昭
協力:サニ千葉エンタープライズ
ナレーター:内藤武敏、鈴木瑞穂
監督:深作欣二 松尾昭典 池広一夫 鷹森立一 黒田義之 牧口雄二 工藤栄一 志村正浩
製作:関西テレビ放送 東映
 
キャスト
柳生十兵衛三厳:千葉真一
柳生但馬守宗矩:山村聰
柳生 茜:志穂美悦子
阿国:多岐川裕美
柳生左門友矩:目黒祐樹
柳生又十郎宗冬:島英津夫
柳生連也斎厳包:石橋蓮司
徳川秀忠:有馬昌彦
崇源院於江与:木暮実千代
徳川家光:田村亮
徳川忠長:西田健
松平忠直:菅貫太郎
春日局:岡田茉莉子
フチカリ:矢吹二朗
左助:真田広之
角野彦三郎:佐藤蛾次郎
中宮和子:三浦リカ
薫太夫:金沢碧
別木庄左衛門:伊吹吾郎
天草四郎時貞:林寛子
ハヤテ:春田純一
マン:岡本ひろみ
ラン:吉田しのぶ
黒丸:福本清三
九条関白道房:高原駿雄
三条大納言実条:山城新伍
烏丸少将文麿:成田三樹夫
三条少納言兼枝:桂三枝
中院通村:梅津栄
今出川公冬:藤木敬士
鍋御門定春:なべおさみ
万里小路充房:木村元
洞院実平:大泉滉
一条頼房:人見きよし
伊達政宗:加藤嘉
酒井備後守忠朝:渡辺文雄
板倉周防守重宗:藤巻潤
板倉近江守重治:田中浩
稲葉丹後守正勝:河原崎建三
小笠原玄信斎:南原宏治
根来左源太:小池朝雄
松平伊豆守信綱:高橋悦史
大久保彦左衛門忠教:金子信雄
徳川頼宣:鈴木瑞穂
徳川義直:萬屋錦之介(特別出演)

裏柳生口伝
 初代TV版では十兵衛が裏柳生の生き様を語るシーンが毎回冒頭にある。

裏柳生口伝に曰く、戦えば必ず勝つ。此れ兵法の第一義なり。人としての情けを断ちて、神に逢うては神を斬り、仏に逢うては仏を斬る。然る後、初めて極意を得ん。斯くの如くんば、行く手を阻む者、悪鬼羅刹の化身なりとも、豈に遅れを取る可けんや。

2009年01月22日

紛争を国際法に従って裁判することを任務

主な国際法として(形式的法源)、条約、慣習国際法、法の一般原則が挙げられる。これに加え、補助的な法源として、裁判所判例、および国際法学者の学説がある。国際司法裁判所規程38条1項は、「裁判所は、付託される紛争を国際法に従って裁判することを任務とし、次のものを適用する」として以下のものを列挙する。

(a)一般又は特別の国際条約で係争国が明らかに認めた規則を確立しているもの
(b)法として認められた一般慣行の証拠としての国際慣習
(c)文明国が認めた法の一般原則
(d)法則決定の補助手段としての裁判上の判例及び諸国の最も優秀な国際法学者の学説
なお、国家の一方的行為が法源に当たるかは争いがある。また、国際連合総会決議にも法的効力(l'effet juridique)があるかが争われている。

条約
条約とは、一定の国際法主体(国家、国際組織等)がその同意をもとに形成する、加盟当事者間において拘束力を有する規範をいう。二国間条約と多数国間条約があり、ともに当事者の合意によって成立するが、後者はその成立に批准手続が取られることが多く、また特に多数の国が参加する場合には条約を管理する機関が置かれる場合がある。条約そのものの規律を対象とする国際法については1969年に国連国際法委員会によって法典化された条約法に関するウィーン条約がある。(条約法の項を参照せよ。)

慣習国際法
慣習国際法は、不文ではあるが、条約と同等の効力を有する法源である。もっとも、不文であるため、それぞれの慣習国際法がいつ成立したのかを一般的にいうことは難しいが、もはや慣習国際法として成立したとされれば、国際法として国家を拘束する。

その成立には、「法的確信(羅: opinio juris)」を伴う「一般慣行」が必要である。「一般慣行」が必要とされるため、長い年月をかけて多くの国が実践するようになったことによって成立したものがある一方、「大陸棚への国家の権利」のように発表からわずか20年足らずで成立したとされるものなど、その成立は様々である。国際司法裁判所は1969年の「北海大陸棚事件」判決において、ある条約の規則が一般法になっているための必要な要素について、「たとえ相当な期間の経過がなくとも」(even without the passage of any considerable period of time)、「非常に広範で代表的な参加」(a very widespread and representative participation)があれば十分であるとし、また、「たとえ短くとも、当該期間内において、特別の影響を受ける利害関係をもつ国々を含む、国家の慣行(State practice)が、広範でかつ実質上一様で(both extensive and virtually uniform)あったこと」を挙げた(I.C.J.Reports 1969, pp.42-43, paras.73-74; 皆川洸『国際法判例集』391頁)。

「一貫した反対国」(persistent objector)、すなわち、ある慣習法が生成過程にあるときに常にそれに反対していた国家、への当該慣習法の拘束力については、学説上、議論がある。国際司法裁判所は、1951年の「漁業事件」(イギリス対ノルウェー)判決において、領海10マイル規則に対して、ノルウェーがその沿岸においてその規則を適用するあらゆる試みに反対の表明を常に行っていた([la Norvège] s'étant toujours élevée contre toute tentative de l'appliquer)ので、10マイル規則はノルウェーに対抗できない(inopposable)と判示した(C.J.I.Recueil 1951, p.131)。

慣習法のみが一般国際法(general international law)を形成する、という従来の理論に関して、小森光夫北海道大学教授は疑問を提示し、慣習法の一般国際法化の際のその形成と適用について、それぞれ問題点を示している。すなわち、形成に関しては、慣習の一般化において、全ての国家の参加が必要とされずに、欧米諸国など影響力のある限られた数の国家の事実上の慣行のみでそれが認定されてきた点を挙げる。また、適用に関して、すでに一般化したとされる慣習法に、新独立国が自動的に拘束されるとする理論について、それが一貫した反対国と比べて差別的である点を挙げる。そうして、一般国際法の存在を慣習法に集約させて論じることを止め、別個に一般法秩序の条件の理論化を確立すべきだと主張する[2]。

基本原理
国際法秩序は、その根底に、一般原則(General Principles; les principes généraux)を有する。これら一般原則を基盤として、またその内容を具現するために、各種条約及び慣習法規が存在しているといえる。それは、国際司法裁判所規程38条(c)の「文明国が認めた法の一般原則」(les principes généraux de droit reconnus par les nations civilisées; General principles of law recognized by civilized nations)として発現していると考えることができる。「法の一般原則」は、各国の国内法に共通に見られる法原則のうち国際関係に適用可能なもの、あるいは、あらゆる法体系に固有の法原則として、一般的にとらえられている。

国際裁判において適用された「法の一般原則」の例としては、信義誠実の原則(1974年「核実験事件(本案)」(オーストラリア対フランス、ニュージーランド対フランス)国際司法裁判所判決、I.C.J.Reports 1974, p.268, para.46)、衡平原則(1986年「国境紛争事件」(ブルキナファソ/マリ)国際司法裁判所判決、C.I.J.Recueil 1986, p.567, par.27; 1984年「メイン湾事件」(カナダ/米国)国際司法裁判所・小法廷判決、C.I.J.Recueil 1984, p.292, par.89; 前記「北海大陸棚事件」判決、I.C.J.Reports 1968, p.46, para.83ほか)、義務違反は責任を伴うの原則(1928年「ホルジョウ工場事件(本案)」常設国際司法裁判所判決)、「既判力」の法理(1954年「賠償を与える国連行政裁判所の判決の効力」国際司法裁判所勧告的意見、C.I.J.Recueil 1954, p.53)などが挙げられ、禁反言の法理(estoppel)のような英米法の概念も適用されるとされた場合もある(前記「北海大陸棚事件」判決、I.C.J.Reports 1968, p.26, para.30)。ただ、裁判所が、明示的に「法の一般原則」として援用することはまれである(一方が他方の義務履行を妨げた場合に、その義務違反を主張することはできないということを、「国際仲裁判例によって、また国内諸裁判所によって、一般的に認められる原則」とした例として、「ホルジョウ工場事件(管轄権)」判決、C.P.J.I., série A, 1927, n°9, p.31)。なお、法の不遡及(non-rétroactivité; non-retroactivity)原則も、国際法、国内法共通の原則であり、特に刑事法の分野で確立している(「世界人権宣言」11条2項、市民的及び政治的権利に関する国際規約15条1項、欧州人権条約7条1項ほか)。しかし、「国際法上の犯罪」(les crimes du droit des gens)において、第二次大戦中当時、「平和に対する罪」が必ずしも明確に犯罪行為として定まっていなかったにもかかわらず、「極東軍事裁判所」いわゆる東京裁判において、それが適用され、処罰された事例がある。

これらのうち、「信義誠実原則」(principle of good faith)と「衡平原則」(principle of equity)は特別である。両原則は、国際法の解釈及び適用の際に、常に働く[3]。

信義誠実原則は、まず国際法の解釈において作用する。ウィーン条約法条約31条は、条約は誠実に解釈されなければならないと規定する。これは、自国の表明した意思に正直、忠実に、かつ相手国の利益や立場を合理的に考慮して条文を解釈しなければならない、という意味と解される。履行についても、国際義務は誠実に履行しなければならないとされる(国連憲章2条1項、条約法条約26条)。これも、自国が表明した意思に正直、忠実に、かつ相手国の利益や立場を考慮して義務を履行しなければならない、という意味と解される。

衡平原則は、状況に応じて法を適用することを意味し、それは三つに分解される。「実定法規内の衡平」(equity infra legem)、「実定法規に反する衡平」(equity contra legem)、「実定法規の外にある衡平」(equity praeter legem)である(「北海大陸棚事件」判決アムーン判事個別意見、C.I.J.Recueil 1969, p.138; 「国境紛争事件」(ブルキナファソ/マリ)判決、C.I.J.Recueil 1986, pp.567-568, pars.27-28)。すなわち、「実定法規内の衡平」とは、様々な可能な解釈のうち実際の状況に即した解釈をとる、ということであり、「実定法規に反する衡平」とは、国際裁判所規程38条2項にいう「衡平と善」(ex aequo et bono)のことで、両当事国の合意の下、法を逸脱しても両当事国が納得する解決を目指すものであり、「実定法規の外にある衡平」とは、法の論理的欠缺を埋める補助的なものである。このように、衡平概念は、正義を実現するものとして、本来的に価値判断(les jugements de valeur)の観点から想起されるものである[4]。
ランド ドトラスト ジャム ガザニア マンホー ヒナガ ピンワ サテン ナスダック マクロ フォト ソンロ フラノ ロゴン もせう リアージ トポグ ロフィー ガスタン ぜんだな イコール ミサ全国 ジャンプ ハロー ロスジ ウィジ おおつち リヨン ビスタ ドッグ フォーカス トトカル トギザ ダリ タオル ッドカード ドーピ ダブル ライオ モブログ スノー くしろ エンド スノース バヌアツ ビラリー バスルガ チュリエ テーマソン リンド

これとは別に、国際法の一般原則(les principes généraux du droit international; General principles of International Law)がある。これは、条約や慣習法の諸規則を通じて実定国際法に浸透した慣習国際法上の原則である。

「友好関係原則宣言」(Declaration of Principles of International Law concerning Friendly Relations and Cooperation among States with the Charter of the United Nations)(国連総会決議2625(XXV)、1970年10月24日)に従えば、以下の原則が国際法の一般原則として確立しているといえる。

(1)国際関係における武力の威嚇と行使の禁止の原則(第一原則)
(2)国際紛争の平和的解決の義務の原則(第二原則)
(3)国内管轄事項への不干渉義務の原則(第三原則)
(4)国々が相互に協力する義務(第四原則)
(5)人民自決の原則(第五原則)
(6)国の主権平等の原則(第六原則)
(7)国連憲章の義務の誠実な履行の原則(第七原則)

2009年01月15日

ジョージ・オーウェル

チック ぐうわ ラガーマ ヒール 黄砂の時間 ヨル ラジル セルン レイン ピックス フリーク 黄金バッド ランナー ウエポン ハムスライ かいわれ セサミン ガスホ ラスパ ヒップ バレンタ ルナス フェミニ ホガニー オランウー トレイン レッスン キムチ ビーチ サイト リードグ シルバ シフォンケ グッド カプチーノ ヒット フェロ ビーシ 男の街 フリー ミニマム ウンボク りゅうがん オーナー ちりめん ブーケト キレート フレン ドライバー バリュー

ジョージ・オーウェル(George Orwell, 1903年6月25日 インド - 1950年1月21日 ロンドン)は、イギリスの作家。本名はエリック・アーサー・ブレア(Eric Arthur Blair)。著作『1984年』は全体主義的ディストピアの世界を極めて説得力のある形に書き上げたため、そういった社会を「オーウェリアン」(Orwellian)と呼ぶ。

1903年、オーウェルは父、リチャードが勤務していたアヘンの栽培と販売を行っていた公社があったイギリスの植民地、インドのベンガルに生まれた。母アイダ(Ida)はオーウェルが1歳の時にイギリスに帰国し、1907年になるまで父を見ることはなかった。父は3ヶ月滞在した後に、1912年まで再び帰国することは無く、姉のマージョリー(Marjorie)と妹のアヴリル(Avril)と単身赴任中の父が不在の母子家庭で育った。後にオーウェルは自らの出身階級を "lower-upper-middle class" と表現している。

5歳の時に、姉も通ったヘンリー(Henley)にある小さな聖公会の学校に通うことになる。オーウェル自身はこの学校について特に何も書き残さなかったが、教師からは高い評価をえたことは間違いなく、2年後に校長からサセックス郡イーストボーン(Eastbourne)にある当時有名な進学校、聖キプリアン校(St Cyprian's School)に校長からの推薦と学費の半額に当たる奨学金を得て進学している。進学校での生活は辛いものであったようで、皮肉を込めて「とても、とても楽しかった」と後にエッセイに記している。しかし、学業は成功を収めており、イートン・カレッジとウェリントン・カレッジの両学校への推薦と奨学金を得ている。

奨学金つきで1917年から1921年の4年間をウェリントンで過ごした後、オーウェルはイートンに転校する。幾人かの教授から反抗的な態度をとっていると評され、厳しい成績をつけられたものの、イートンの自由な校風はオーウェルに良く合ったようで、後に有名になるイギリスを代表する知識人たちと知り合いになったのはこの頃である。しかし、その自由さに毒されたのか、真剣に研究に打ち込むことは無かった。

ビルマ勤務
1922年にイギリスを離れ、マンダレーでインド警察の訓練所に入所し、その後5年間各地で勤務することになるが、帝国主義の片棒を担ぐ警官の仕事を激しく嫌うようになっていたオーウェルは、1927年に休暇をもらった折にイギリスに帰り辞表を出すと、2度とビルマには戻らなかった。 彼が圧制者を絶対悪と考え始めアナーキズムに傾向していったのはこの頃の体験が大きいと言われている。

ルポルタージュ作家
最底辺生活者の生活のルポ作品を描こうと、1928年から1929年、文章を書きながら、後には皿洗いとして働きながら、パリで暮らす。1930年から1931年はロンドンとロンドン周辺を、浮浪者にまじって放浪する。その経験をもとに、1933年に最初の著作、『パリ・ロンドン放浪記』を刊行。

なお彼は実生活では煤けたロンドンを嫌っており、1935年にはエセックス州で養鶏業を営んでいる。

スペイン内戦に参戦
スペインでは王政が倒れ、内戦が起きていた。彼は1936年にスペインに赴き「新聞記事を書くつもり」でいたがバルセロナでの「圧倒的な革命的な状況」に感動して、彼はフランコのファシズム軍に対抗する一兵士として、1937年1月P.O.U.M.(マルクス主義者統一労働党)アラゴン戦線分遣隊に伍長として戦線参加。(本当は共和国政府公認の国際旅団に加わりたかったらしい。) 人民戦線の兵士たちの勇敢さに感銘を受け、また、ソ連からの援助を受けた共産党軍の欺瞞に義憤を抱く。

5月に前線で咽喉部に貫通銃創を受けまさに紙一重で致命傷を免れる。傷が癒えてバルセロナに帰還するとスターリン主義者によるPOUMへの弾圧が始まっており、追われるように同年6月、フランスに帰還。

1938年、スペイン内戦体験を『カタロニア讃歌』として刊行。優れたルポルタージュでありながら、初版1500部のうち900部しか彼の生存中に売れなかったという。

晩年
評論文・エッセイなどを書く生活を送り、名声を獲得する。第二次大戦が始まると、イギリス陸軍に志願するが断られ国民市防軍に加わり軍曹として勤務する。1941年にBBC入社。東洋部インド課で、東南アジア向け宣伝番組の制作に従事する。(『戦争とラジオ―BBC時代』を参照)

戦後は、1945年に『動物農場』を発表し初めて世俗的な名声と莫大な収入を得る。

1947年に結核に罹患。療養と『1984年』の執筆をかねて父祖の地スコットランドの孤島ジェラの荒れた農場に引きこもる。結核の治療に適した地ではなく、本土の病院に9ヶ月の入院生活を送ったのち、再びジェラに帰り積極的な治療も拒否して1949年に『1984年』を書き終える。その後南部のグロスターシャ州のサナトリウムに移る。

1950年、ロンドンにおいて46歳の若さで死去した。

主な作品

小説
『動物農場』Animal Farm (1945年)
吉田健一訳 『世界の文学53、イギリス名作集、アメリカ名作集』 中央公論社、1966年 所収
開高健訳 『「今日は昨日の明日」ジョージ・オーウェルをめぐって』 筑摩書房、1984年 所収
高畠文夫訳、角川文庫
(英語原文) 講談社〈講談社英語文庫〉193、2007年
『1984年』(1949年)
吉田健一・龍口直太郎共訳、文芸春秋新社、1950年、出版共同社、1958年
新庄哲夫訳、ハヤカワNV文庫、1972年 のち改版
オーウェル・小説コレクション、全5冊、晶文社、1984年
『パリ・ロンドンどん底生活』
『ビルマの日々』
『牧師の娘』
『葉蘭をそよがせよ』
『空気を求めて』